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「2月26日 日本でもクーデターが企てられた」・・・!
2019年02月26日
今朝は、6時に起床

朝食は「ロールキャベツ」などで豪華版(笑)
ここへ来てようやく食欲も回復

けだるさも消えて、動こうとする意欲が勝ってきたようです

今日昼前後は、日枝・八幡の屋台保存会役員手分けして、ホームページ記載の
各屋台の記述について「お尋ね・修正・新規」など確認作業用紙配布・・・

地元より全国各地の保存会の皆さんの注目度が高く・・・(笑) 緊張します



『まんぷく』ドラマの進捗を感じながら。「どん兵衛』を・・・(笑)
今日2月26日は、1936年(昭和11年)に陸軍皇道派の青年将校が1483名の
下士官兵を率いて未明に決起、元老・閣僚などを襲いクーデターを企てた


決起軍は、首相官邸や閣僚の自宅を襲い「高橋是清大蔵大臣」「斉藤実内大臣」
「渡辺錠太郎陸軍大臣」などが暗殺された

決起軍は、陸軍を通じて天皇に「昭和維新」を上奏したが、天皇はこれを拒否した
為、陸軍と政府は彼らを「反乱軍」と認定し武力鎮圧を決意した
昭和維新の失敗に、首謀者である青年将校らは下士官兵を解散、1部は自害に
及んだが残りは投降して法廷闘争を試みたが、全員が銃殺刑となった

「昭和維新 尊王斬奸」をスローガンに、天皇親政を実現して彼らが考える政財界
の腐敗事項を解消し、農村の困窮からの開放実現をめざすものだったが・・・
当時の陸軍の中での「皇道派(おもに北進)」と「統制派(おもに南進)」、派閥抗争
は、その後の日本陸軍の動きに大きく影響を及ぼした。
特に昭和天皇はこの事件がトラウマとなり、戦後の回想でも「2・26事件」「終戦の
御前会議」をあげられ、立憲主義の枠組みを超えて行動しなければならなかった
例外事項であったと述べられている

忘れさられつつある、歴史の闇の部分かもしれない・・・



朝食は「ロールキャベツ」などで豪華版(笑)

ここへ来てようやく食欲も回復


けだるさも消えて、動こうとする意欲が勝ってきたようです


今日昼前後は、日枝・八幡の屋台保存会役員手分けして、ホームページ記載の
各屋台の記述について「お尋ね・修正・新規」など確認作業用紙配布・・・


地元より全国各地の保存会の皆さんの注目度が高く・・・(笑) 緊張します




『まんぷく』ドラマの進捗を感じながら。「どん兵衛』を・・・(笑)
今日2月26日は、1936年(昭和11年)に陸軍皇道派の青年将校が1483名の
下士官兵を率いて未明に決起、元老・閣僚などを襲いクーデターを企てた



決起軍は、首相官邸や閣僚の自宅を襲い「高橋是清大蔵大臣」「斉藤実内大臣」
「渡辺錠太郎陸軍大臣」などが暗殺された


決起軍は、陸軍を通じて天皇に「昭和維新」を上奏したが、天皇はこれを拒否した
為、陸軍と政府は彼らを「反乱軍」と認定し武力鎮圧を決意した

昭和維新の失敗に、首謀者である青年将校らは下士官兵を解散、1部は自害に
及んだが残りは投降して法廷闘争を試みたが、全員が銃殺刑となった


「昭和維新 尊王斬奸」をスローガンに、天皇親政を実現して彼らが考える政財界
の腐敗事項を解消し、農村の困窮からの開放実現をめざすものだったが・・・
当時の陸軍の中での「皇道派(おもに北進)」と「統制派(おもに南進)」、派閥抗争
は、その後の日本陸軍の動きに大きく影響を及ぼした。
特に昭和天皇はこの事件がトラウマとなり、戦後の回想でも「2・26事件」「終戦の
御前会議」をあげられ、立憲主義の枠組みを超えて行動しなければならなかった
例外事項であったと述べられている


忘れさられつつある、歴史の闇の部分かもしれない・・・


Posted by たぬログ at
15:01
│Comments(0)
「統一地方選挙会議~あうんのコムライス」・・・!
2019年02月26日
昨晩は、統一地方選挙「岐阜県議会選挙」の会議(^^)



高山市議・白川村議のみなさん、各地域の後援会長さんにご参集いただき今後の
日程やお願いをさせていただきました(^^)

終了後は、「あうん」で晩御飯



よくしゃべらせていただいたので、ノンアルビールでのどをうるおし・・・

仕上げは、なつかしいくらい美味い「小ムライス」でね(^^)

あうんの「オムラシス」は最高さ








高山市議・白川村議のみなさん、各地域の後援会長さんにご参集いただき今後の
日程やお願いをさせていただきました(^^)


終了後は、「あうん」で晩御飯




よくしゃべらせていただいたので、ノンアルビールでのどをうるおし・・・


仕上げは、なつかしいくらい美味い「小ムライス」でね(^^)


あうんの「オムラシス」は最高さ





Posted by たぬログ at
08:20
│Comments(0)